YOASOBI「群青」における歌詞・メロディー・コード進行の緊密な結びつき

はじめに

 

大学で教員をやっていると、最近流行のバンドやユニットを学生さんから紹介されることがたまにあります。YOASOBIは4月に新入生からお薦めされたユニットの1つでした。

 

さっそく数曲聴いてみたところ、このユニットの曲はとても精緻に作られているような気がしたので、コーラスパートが印象的な「群青」をじっくり聴きこんでみました。感じたところを授業後の雑談コーナーで披露してみたのですが、学生さんたちは結構真剣に受けとめてくれて、嬉しかったです。そこで、より多くの方にも読んでいただきたいと思い、話の中身を要約してここに公表させていただきます。

 


 1.歌詞とメロディーの緊密な結びつき

 

「群青」の凄いところは、歌詞の内容とメロディーの流れが見事にマッチしているところだと思う。そこで、まずはこの点に焦点をあてて詳しく書いてみたい。曲のセクションごとに、歌詞の内容とメロディーの特徴を挙げてみたい。

 

歌詞はコミック『ブルー・ピリオド』を原作としているが、かなり抽象化されており、少々わかりにくいので、歌詞を紹介する部分は、あえて、原作の内容に沿ったものにしてみた。

 

途中で出てくる時間表示は、YouTubeにアップされているものによる。↓に貼り付けておいたが、PCでご覧の方は、タブを複製するなどして別のウインドウで開いていただき、適宜一時停止しながら読んでくださるとスムーズかも。

 

 

Aメロ前半【0:02-0:22

【歌詞】

  • 高2の主人公は要領よく生きているが、心から打ち込めるものもなく虚しさも感じている。

【メロディー】

  • 「いつものよう」でレ・ミ・ラ・シ・ド(移動ドで表記)と7度も駆け上がり、「すぎるひび」でド・シ・ソ・ミ・レ」と一気に7度下がる。その後も広い音域を何度も上下しており、Aメロでいきなりここまでやりますかと言いたくなるほどダイナミックなメロディーラインだ。主人公が感じている虚しさが実は深刻なものであることを、この激しいメロディーラインが示唆しているように思う。

 

Aメロ後半【0:23-0:27

【歌詞】

  • しかし、これでいいんだと自分を抑える主人公。

【メロディー】

  • Aメロ前半とは対照的に、低音域、かつ、34度という狭い音域に絞っているのが特徴。自分をぐっと抑えていることを表現しているのだろう。「これでいい」の「こ」は本曲においてヴォーカルが発する最低音である。
  • ヴォーカルのikura氏は、ここでしゃくり(低い音からずり上がって本来の音に至ったり、高い音からずり下がって本来の音に至ったりすること)を連発している。特に、「そんなもんさ」では「ん・な・も」の3連続しゃくりで、まるで声が震えているように感じさせる歌い方になっている。主人公が必死に本当の気持ちを抑えつけている様子を見事に表現している。

 

Bメロ【0:27-0:41

【歌詞】

  • 本当の声を響かせるよう求める声。これは主人公の心情ではなく、主人公に接する人びとの励ましを集約したものだろう。

【メロディー】

  • 1オクターブ以内に止めた歌いやすいメロディーになっている。❷コード進行もIVIIVVIという平明なカデンツしか使われていない。そして、❸YOASOBIとしては大変珍しい、ikura氏以外の他者による生声のコーラスが用いられている。❹伴奏には手拍子も含まれている。これらの音楽的特徴は、参加者全員で手を叩いたり体を動かしたりしながら歌うことを前提としているゴスペルを連想させる。他者が主人公を鼓舞する歌詞に最適な音楽スタイルだと思う。
  • このような話者の転換が、中間部などではなく、いきなりBメロで行われていることが新鮮な印象を与える。

 

◎サビ【0:41-1:06

【歌詞】

  • 自分で感じたままに青のモノトーンで朝の渋谷を描く主人公。本音をさらすことに怖さを感じつつも、本当の自分に出会えて高揚する。

【メロディー】

  • 広い音域を激しく上下していたAメロとは対照的に、サビの冒頭【0:41-0:46】は、ごく狭い音域の中で順次進行型を5回も反復している(「んじた」「ままに」「えがく」「じぶん」「でえらん」)。本当の自分をさらけ出し始めた、主人公のおずおずとした歩みを具現化しているように思う。
  • その後【0:48-0:55】は、同型反復のパターンを踏襲しつつも、6度下がったり減5度上がったりと緊張を高めながら「あいせかい」の「お」で本曲最高音(曲の最後の転調部分を除く)に達しており、主人公の高揚した気分をよく示している。

 

2Aメロ&サビ【1:17-2:10

【歌詞】

  • 芸大入学を決意した主人公は油絵の本格的な修行を開始するが、受験仲間の才能に圧倒され、自身の才能の無さを自覚し、苦しい日々を過ごす。

【メロディー】

  • 広音域を激しく上下するAメロのメロディー【1:17-1:37】は、自分のやりたいことを見つけて修行を開始した後に経験する苦しみを表現した2番の歌詞にも、よくマッチしている。
  • サビにおける、ごく狭い音域の中で3度の順次進行を反復する箇所【1:46-1:51】は、自分の成長を実感できず劣等感を抱き停滞している彼の葛藤に、よくマッチしている。
  • このようなコンプレックスに囚われているときは、他者の励ましは耳に入らないものだ。そのせいか、ここではBメロは登場しない。

 

Cメロ【2:11-2:37

【歌詞】

  • コンプレックスに悩みながらも人一倍描き続けることにより自身の成長を感じ、他人との比較ではなく、努力し続ける自分を肯定することで自身を受容する。

【メロディー】

  • 前半【2:11-2:24】は、強拍・弱拍のリズムを規則正しく打ち続けてきたパーカッションが急変し、メロディーにシンクロした激しいリズムを奏でる。メロディーは低い音域に限られており、主人公が苦しさに耐え葛藤しながらも地道に努力を積み重ねている様子を描いているように感じる。

 

なお、この部分のみ1オクターブ上のコーラスが付けられているが、歌詞との関連は私にはわからなかった。音響的には、低音域のメロディーを抑えたトーンで歌う中で激しいバスドラがシンクロするとヴォーカルが埋もれてしまいがちになるところをうまくフォローし、ヴォーカルを際立たせる効果がある。

 

  • 後半【2:25-2:37】は、自信を得た主人公の心情に対応して、強拍・弱拍の規則正しいリズムが再開され、ヴォーカルも、シンコペーションもいれて躍動的に歌う。ちなみに、16分音符-8分音符-16分音符のシンコペーションは、本曲のメロディーの中でもCメロ前半「とがぶ」、後半「みたって」、「べたって」の3回しか使われておらず、他人と比べたって仕方がないという主人公の気づきが本人にとって非常に重要なものであり、この気づきを得て本人が高揚していることを示唆しているように思う。

 

3番サビ【2:37-3:04

【歌詞】

  • 前半はおそらくこれまでの歩みの回想。後半は、吹っ切れた主人公の決意表明。

【メロディー】

  • 前半【2:37-2:51】は半分のテンポに落とされ、回想シーンにふさわしい。また、本曲中ではこの箇所でのみブルーノート(一般的にはエモーショナルに表現したい時に用いられることが多い)が用いられており(「おい」、「のひ」、「ぜんぶ)の3つ。赤字部分がブルーノート)、これまた回想シーンにふさわしいエモーショナルな演奏に一役買っている。

なお、YOASOBI「怪物」では、「群青」とは対照的に、曲冒頭から「良い匂いが」などとブルーノートを使って使って使いまくっている。それにもかかわらず、ikura氏はエモーショナルに歌いあげてはいない。これはおそらく、草食動物を食べたいという本能的衝動(これをブルーノートが示唆している)が薬等で抑えつけられている(ikura氏の抑えた歌唱)ことを示唆しているのだろう。このようにAyase氏は、ブルーノートの使い方をかなり吟味している。「怪物」のPVはコチラ↓。

YOASOBI「怪物」Official Music Video (YOASOBI - Monster)

 

 ◎4番サビ&Bメロ【3:05-4:06

【歌詞】

  • 吹っ切れて歩み続けた主人公が自己肯定感を持つに至る。「とうめいなぼく」など原作のセリフが用いられてはいるが、原作(本ブログ執筆時点ではコミックス9巻まで刊行)の主人公はまだこの境地に達していないように思う。本曲では先取りしているのだろうか。

【メロディー】

  • このパートは半音上に転調されており、3番と4番との間に相当の年月が経っていること、または、主人公が一段階成長を遂げたことが感じられる。
  • これまで一度しか登場していなかったBメロが最後に2回繰り返される。主人公に対する他者の呼びかけだったBメロは、ここでは、自己肯定感を持つに至った主人公もおそらく加わって、高2までの主人公と同じように踏み出せず悶々としているリスナーにエールを贈るものへと変容している。感動的だ。

 2.特徴的なコード進行の意味

 

本曲は、ほぼ全てのセクションがIVの和音(サブドミナント SD)から始まり、 I または VI(いずれもトニック T)に解決する循環コードでできている。例外は、1Bメロから1番サビ【0:40-0:41】、間奏から2Aメロ【1:16-1:17】、2Aメロからサビに移る時【1:44-1:45】に、トニックで終わるのではなく、平行調のVを借用したドミナントで終わらせるところ、および、最後の半音上げ転調【3:05-4:06】のみである(半音上げた後は循環コード)。

 

以下に、ハ長調に移調してコード進行を記した(単純化し、経過のディミニッシュ・コードの表記等は省略している)。コード理論に詳しくない方も、表を眺めていただければ、すべてがFM7(ファラドミ・IVSD)という和音から開始されているという、ある種の執拗さ、そして異様さを直観的に感じ取っていただけるだろう。

 

Aメロ

1節

FM7

FM7

E7

Am

2

FM7

E7

Am

Gm C

3

FM7

G7

E7

Am C

4節【1番】

FM7

G7 C

 

 

4節【2番】

FM7

G

C

E7

 

Bメロ

1節

FM7

FM7

C

C

2

FM7

G

C

E7

 

サビ

1節【12番】

FM7

G7

Em7

Am C

1節【3番】

FM7

G7

E7

Am C

2節【12番】

FM7

E7

Am

Gm C

2節【3番】

FM7

E7

Am

BC

3

FM7

G7

E7

Am C

4節【1番】

FM7

G C

 

 

4節【2番】

FM7

G

 

 

4節【3番】

FM7

G7

C

C

 

間奏

1節

FM7

FM7

C

C

2

FM7

E7

 

 

 

Cメロ

1節

FM7

G7 Am

E7

Am C

2

FM7

G7 Am

E7

Am C

3

FM7

G7

E7

Am C

4

FM7

G

C

 

 

このように循環コードで統一させたAyase氏の狙いはどこにあるのだろうか。歌詞とメロディーの関係のようにわかりやすい手がかりはないので単なる憶測になってしまうが、2つの仮説を思いついたので記しておきたい。

 

第一に、SDからTへの解決というパターン1つで本曲を作り切ることで、青一色で渋谷の朝を描いた主人公の初作品とシンクロさせたのではないか。つまり、主人公の作品の音楽的比喩ではないか。

 

なお、青一色といっても、主人公は青の絵具1つだけでなく、同系色の緑なども混ぜて使用している。本曲も、基本はSDからTへの解決というパターン1つなのだが、その途中のプロセスにはいくつかのヴァリエーションを付けており、もしかしたらこれも音楽的比喩かもしれない……いや、考えすぎですかね。

 

第二に、YOASOBIのデビュー作である「夜に駆ける」のシンメトリーとして作曲したのではないか。「夜に駆ける」から本エッセイ執筆時点の最新作「もう少しだけ」までのおそらくすべての曲において、SDからTへの解決という循環コードは頻繁に登場する。しかし、全編にわたってこのパターン一色というのは、「群青」以外には「夜に駆ける」しかない。となると、どうしても両曲を結びつけて考えたくなってくる。

 

「夜に駆ける」のコード進行を解析している↓のサイトのスコアを見れば、A♭(変ホ長調のIVSD)からスタートし、E♭(IT)またはCmVIT)と解決するパターンが貫かれていることが容易にわかる。

夜に駆ける / YOASOBI のコード進行を分析して解説!

 

「夜に駆ける」は、繰り返し訪れる死の衝動を飼いならすことができず自死に至る「ネガ」のストーリーである。死の衝動が何度も何度も執拗に襲ってくる歌詞と、徹底した循環コードの反復が非常にマッチしている。

 

これに対し「群青」は、困難にめげずに努力を継続し、自己肯定感を涵養するのに成功する「ポジ」のストーリーである。Ayase氏は、全く同一の作曲手法によりながら対照的な世界を作ろうとしたのかもしれない。もしそうだとしたら、何枚も何枚も絵を描き続ける主人公の姿の音楽的比喩として循環コードを積み重ねたのかもしれない。

 

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