ハイドン:交響曲第6番ニ長調「朝」

◎曲について

  • 第1楽章 序奏付きのソナタ形式。ニ長調。
  • 第2楽章 序奏と後奏付きのソナタ形式。ト長調。
  • 第3楽章 メヌエット。ニ長調。
  • 第4楽章 ソナタ形式。ニ長調。

◎飯森範規(指揮) 日本センチュリー交響楽団

  [2015.6.5録音 OVCL-00610] ★★★☆

 

モダン楽器を使用し、全体としてオーソドックスな運びをみせるが、弦はノン・ヴィヴラートに徹するなど、柔軟にピリオド・アプローチを採用している。その結果、モダンの暖かい響きとピリオドのクリアなフレージングが両立し、とても心地よい演奏になった。このレベルをキープしてぜひ日本の団体初のハイドン交響曲全集(しかもSACDによる全集)を完結させてもらいたい。

 

第1楽章。序奏の途中からチェンバロが加わるが、このチェンバロが良い。全曲を通じて、テクスチュアの薄い場面に即興的なフレーズを奏でているが、そのセンスが良く、聴きほれてしまう。主部に入ると、弦と木管の音量バランスが弦主体気味に整えられていてやや不満をおぼえた。ソロパートの時には木管もクリアに聴こえるのだが、トゥッティになると埋もれがちになる。その結果、提示部では14小節以下のフルートとオーボエによる第1主題由来の重要フレーズ「レ・ラ・ファ#・レ……」がよく聴こえない。提示部には他にひっかかる点が1つあった。21小節以下の経過部で23~24小節「レ~・ファ#・ミファ#」の「レ~」を大きく鳴らしていることの意味が僕にはよくわからなかったのである。以上の2点を除けば、明朗で安定した上質の演奏である。再現部冒頭のホルンが、モダン楽器のはずなのに鄙びた音色にしていて面白かった。

 

第2楽章。主部のテンポの速さが際立つ。他の演奏と比較しても最速の部類に入るのではないか。しかしせかせかした印象は与えず、心地よくこのテンポにのることができた。展開部ではヴァイオリン・ソロとチェロ・ソロの絡みが多くなるが、アゴーギクをあまりいじらないので生硬な運びになるかと思いきや、階段状のデュナーミクでめりはりをつけているので、息苦しくならずに聴けた。

 

第3楽章。主部の8小節や16小節の装飾音は通常四分音符の長さで奏されるが、ここでは付点四分音符の長さで奏され、面白いアクセントとなっている。低音担当楽器群がソロをつとめるトリオではぐっとテンポを落とすのもユニーク。

 

第4楽章は快速に進む。展開部のヴァイオリン・ソロは、第2楽章とは異なり若干アゴーギクをきかせており、テンポの微妙な変化とフレージングがぴったりマッチしていて素晴らしい。

[2018年8月12日記]

◎Thomas Fey(cond.) Heidelberger Sinfoniker

 [2014.3録音 HC16088] ★★☆☆

 

ファイの演奏はどちらかというと苦手。超優秀録音で高精度アンサンブルを聴くことに生理的快感はおぼえるのだが、数々の作為に煩わしさをおぼえることが多い。今回もそうだった。

 

第1楽章。主部の提示部最後のフレーズに妙なアクセントをつけている。44小節以降の「ラ・ミ・【ド#】・ラ・【ミ】・ド#・ラ・【ミ】・ド#・ラ・ミ」というフレーズに【 】をつけた音を強調しているが、そうしなければならない必然性が感じられない。展開部の58-65小節のp指定部分も細かくデュナーミクの変化をつけており、煩わしい。そわそわもぞもぞ貧乏ゆすりをしているような印象だ。これではフォルテが爆発する前の緊張を伴った静謐さが出ない。

 

第2楽章。なんと通奏低音にリュートが用いられている。一気にセレナード風味が強まり、面白いが、朝の音楽というよりはナハトムジーク風になってしまうので、良い効果といえるかどうか判断しかねる。この楽章でも執拗にデュナーミクがいじられ続け、煩わしい。反復の際には、メインフレーズに装飾音を加えるだけでなく伴奏もピチカートに変えてしまうなどの改編が行われているが、やりすぎだ。

 

第3楽章。主部のテンポは遅すぎるように思う。低音楽器群がソロをつとめるトリオに合わせて遅くしたのかもしれないが、飯森盤のように主部とトリオのテンポを変えるほうが効果的だと思う。

 

第4楽章。提示部のチェロのソロ(13小節~)は、同型のフレーズを反復するものだが、たいていの演奏ではデュナーミクに変化をつけて対応する。この盤ではアーティキュレーションに変化をつけて対応しているのが面白い。

[2018年8月12日記]